新時代を担う日中友好の架け橋に

日中国交正常化50周年記念コラム 第21回(江田洋一)

日本と中国の国交が正常化されてから50周年となる本年、日中友好会館ではホームページとメールマガジンで「日中国交正常化50周年記念コラム」を連載いたします。

日中交流に長く携わった方や、日中友好会館の各事業に参加された幅広い世代の方に、日本と中国に関わりのある事柄、随筆、これまでの日中交流のエピソードや、これからの日本と中国に向けての期待・希望などメッセージを執筆いただき、一年にわたって連載します。また、日中民間交流の拠点として貢献する日中友好会館の取り組みなども合わせてご紹介します。

日本と中国のこれまでの歩みを振り返りながら、新しい友好関係の構築に向けたプラットフォーム作りの一助となれば幸いです。

 

必ず朝は来ます

公益財団法人日中友好会館 江田五月前会長秘書 江田洋一

 

皆様にお世話になりました江田五月は、昨年7月28日に満80歳の生涯を閉じました。家族葬だった為、関係各位に充分なご挨拶ができておらず、誠に申し訳ありません。コロナ禍が収まりましたら「お別れの会」を開催したいと思っております。

 

江田夫妻は幼少期を中国で過ごした縁もあり、日中友好の為に全力を尽くして来ました。会館行事等に可能な限り参加し、要望がある限り誠意を尽くすべく訪中をしました。尖閣諸島等に関わる問題発生時も陰に陽に様々なチャネルを通し、信頼関係を損なわない努力をしていた姿をずっと見てきました。

 

順風満帆に見えた江田五月も岡山県知事選で惜敗し、約2年浪人生活をした事があります。私も幼子と離れ岡山の実家に単身赴任し、浪人生活を共に過ごしました。

 

「朝は来る、眼を洗うばかり鮮やかに、一切心機まき直しの、朝がくるのだ」。高村光太郎の詩の一節です。知事選敗北の翌朝ある書家がこの詩を江田五月に届けました。「必ず朝は来る」と信じ、江田五月は国政への復帰を決意しました。その時揮毫した「朝」が私への形見となりました。

 

国交正常化50周年を前にして、日中関係は今どん底で民間交流も途絶えがちです。一衣帯水の地にある私達が地道に信頼関係構築を続けなければ、アジア・世界の安定平和は望むべくもありません。

 

「必ず素晴らしい朝は来る」と信じ、皆さんの一層のご活躍、ご奮闘を江田五月も天から期待していると思います。ともに頑張っていきましょう。

 

(第27代参議院議長秘書)

 

寧夏回族自治区銀川にて植樹
故江田五月会長(右)と筆者

 

【日中国交正常化50周年記念コラム アーカイブ】