新時代を担う日中友好の架け橋に

日中国交正常化50周年記念コラム 第4回(谷野作太郎)

日本と中国の国交が正常化されてから50周年となる本年、日中友好会館ではホームページとメールマガジンで「日中国交正常化50周年記念コラム」を連載いたします。

日中交流に長く携わった方や、日中友好会館の各事業に参加された幅広い世代の方に、日本と中国に関わりのある事柄、随筆、これまでの日中交流のエピソードや、これからの日本と中国に向けての期待・希望などを執筆いただき、一年にわたって連載します。また、日中民間交流の拠点として貢献する日中友好会館の取り組みなども合わせてご紹介します。

日本と中国のこれまでの歩みを振り返りながら、新しい友好関係の構築に向けたプラットフォーム作りの一助となれば幸いです。

 

50年前、日中両国の政治の領袖たちは何を語り、何を約束したか

公益財団法人日中友好会館 顧問 谷野作太郎

 

 今年は、日中国交正常化50周年。それにしては、東京においても、北京においても、ほとんど盛り上がりがみられない。残念なことである。

 

日中政治関係は、ひき続き、厚い雨雲がたれ込めた情況。中国の国際社会での立ち振る舞いに対して、日本の政治家たち、或は一部のメディアは粗野な言辞をあびせかける。お互いに隣国同士の大国として、いま少し大人らしい争論、対話を期待したいところだが。

 

50年前、北京で日本と中国の政治の領袖たちは、何を語り合い、何を約束したか。それは、

 

 

 

(イ)日中両国の平和・友好・協力関係は、両国の利益であり、アジア、世界の利益である。

(ロ)両国関係のガイドラインは、「小異を残して、大同に就く」(「求同存異」、故周恩来総理がくり返し述べた言葉)。

(ハ)歴史を鑑として、両国関係の未来を拓く。

(ニ)日中両国は、…アジア・太平洋地域において、覇権を求めるべきでなく、このような覇権を確立しようとする他のいかなる国、あるいは国の集団による試みにも反対する。(日中共同声明第7項)

 

ということだった。いずれも、今日なお、いや、今のような日中関係であるからこそ、ますます重みを増す言葉である。

 

ちなみに、日本人はよく「小異を捨てて、大同に就く」、という言い方をするが、そのような言い方は、本家の中国にはない。「小異」は残る、残す(「存異」)のである。他方、最近はその「小異」を日中双方でいじくり廻して、これを「大異」にして、お互いに盛り上がる傾向が気になる。大切なことは、残った「小異」を用心深く管理しながら「大同」に就くということである。

中国の発展自体は、慶賀すべきことである。それは、日本にとって、アジア、国際社会にとっても利益である。ただし、その場合、その発展への道筋は、国際社会から支持され、祝福されるものであってほしい。ここで、(ニ)の点は大きな意味をもってくる。

なお、この「反覇権」ということについては、昔、鄧小平氏が、「もし将来、中国が覇権に走るようなことがあれば、日本がそれに反対してほしい。」という趣旨のことを述べていたことを、なつかしく思い出す。

 

台湾をめぐる情況も心配される。

この台湾問題についても、正常化直後、1973年の国会で、当時の大平総理が、「政府統一見解」として述べたものがある。

「わが国としては、この問題(中華人民共和国と台湾の対立の問題)が当事者の間で平和的に解決されることを希望する。」この考えは、その後、日本の歴代内閣によって継承されている。

なお、この「政府統一見解」は、「この問題をめぐっての安保条約の運用については、わが国としては、今後の日中両国関係をも念頭において慎重に配慮する所存である」とも述べている。

 

日本と中国、これからもいろいろと摩擦、対立が起こることだろう。しかしその場合、大事なのは、そのような時、

(イ)高いレベルの政治対話を絶やさないこと。

(ロ)そのようなトラブルが、オール日本VS.オール中国の域に広がらないよう、両国の各界、各層にわたる緊密な人脈を造り上げること。

である。そうなれば、ひとつのパイプがつまっても、他のチャネルを通じて意思疎通ができる。日中関係は早くその域に達したいものだ。

 

日中友好会館の職員も皆、そのような志を胸に秘めながら、日々がんばっています。

 (元駐中国大使)

 

 

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