日中国交正常化50周年記念コラム 第8回(片寄浩紀)

 日本と中国の国交が正常化されてから50周年となる本年、日中友好会館ではホームページとメールマガジンで「日中国交正常化50周年記念コラム」を連載いたします。

 日中交流に長く携わった方や、日中友好会館の各事業に参加された幅広い世代の方に、日本と中国に関わりのある事柄、随筆、これまでの日中交流のエピソードや、これからの日本と中国に向けての期待・希望などメッセージを執筆いただき、一年にわたって連載します。また、日中民間交流の拠点として貢献する日中友好会館の取り組みなども合わせてご紹介します。

 日本と中国のこれまでの歩みを振り返りながら、新しい友好関係の構築に向けたプラットフォーム作りの一助となれば幸いです。

 

日中関係の100年

公益財団法人日中友好会館 理事 片寄浩紀

 

 1964年に大学に入学し、第二外国語に中国語を選んだのが中国との触れ合いのきっかけでした。担当の工藤篁先生は、現代中国語で「目」のことを「眼睛」というが、なぜ「黒ではなく青の旁が使われているのか?」と問いかけました。これが中国・中国人との相互理解と友好を深めたいとの私の意欲を強める原点となりました。

 四年後、中国と直接交流できる仕事をしたいと考え、日本国際貿易促進協会に就職しました。当時、「日中国交回復」が貿易業界の切実な願望でした。先輩たちの努力と国際情勢の変化により、さらに五年後の1972年に日中国交正常化が実現しました。

その時、周恩来総理が述べた「前事不忘、後事之師。存小異、求大同。」という言葉は、今日でも忘れることはできません。正常化前と正常化後の50年間の歴史を思えば、まさに「前事不忘、後事之師」です。

 1976年も「不平凡的1年」でした。周恩来総理死去、唐山大地震、そして毛沢東主席の死去。協会の事業では、私が積極的に関与した日本環境保護・油圧空気圧工業展覧会を北京で実施。唐山大地震にもかかわらず、「対外的な約束は守る」という中国側の態度には感心させられました。

 その後、中国の対外開放、天安門事件、WTO加盟、経済大発展と歴史は進んできました。今後の50年を展望するとき、両国民の「相互理解」がさらに深められ、日中関係は一層発展していくものと確信しています。

 2022年2月2日

(日中学院 前学院長)

 

【日中国交正常化50周年記念コラム アーカイブ】

 第1回 宮本雄二

● 第2回 黄星原

第3回 荒井克之

● 第4回 谷野作太郎

● 第5回 洪振瀚

 第6回 村上立躬

● 第7回 黄淑柔

 

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