新時代を担う日中友好の架け橋に

日中国交正常化50周年記念コラム 第9回(海江田万里)

日本と中国の国交が正常化されてから50周年となる本年、日中友好会館ではホームページとメールマガジンで「日中国交正常化50周年記念コラム」を連載いたします。

日中交流に長く携わった方や、日中友好会館の各事業に参加された幅広い世代の方に、日本と中国に関わりのある事柄、随筆、これまでの日中交流のエピソードや、これからの日本と中国に向けての期待・希望などメッセージを執筆いただき、一年にわたって連載します。また、日中民間交流の拠点として貢献する日中友好会館の取り組みなども合わせてご紹介します。

日本と中国のこれまでの歩みを振り返りながら、新しい友好関係の構築に向けたプラットフォーム作りの一助となれば幸いです。

 

日中国交正常化50周年に思うこと

公益財団法人日中友好会館 評議員 海江田万里

 

 早いもので日本と中国の国交が正常化して50年が経つ。当時、大学を卒業したばかりの私は、田中角栄総理が北京の首都空港で、周恩来総理と固く握手をするテレビ中継を見て大きな感動を覚えたことを今でも鮮明に覚えている。

私が初めて中国を訪れたのは1975年、まだ文化大革命の傷跡が生々しい時だった。当初は北京から杭州、上海を回って帰国する予定だったが、杭州への移動の直前に訪問先が無錫に変わった。後で聞いた話では、翌年、摘発される四人組の一人であった王洪文が杭州で騒ぎをおこしていたため外国人の杭州訪問が急遽禁止になったとのことだった。この訪中は日中友好議員連盟秘書団の一員としてのものだったから、中国側も格別なもてなしをしてくれた。北京では中日友好協会会長の廖承志氏、秘書長の孫平化氏とも面会の機会があった。当時、私たちの日中友好の原点には、二度とあの不幸な戦争を繰り返してはならないとの強い決意があったと思う。

あれから半世紀、日本と中国の経済力は大きく変化した。また過去の戦争の歴史は、日本では薄れるばかりだが、私の中では、やはり日中不再戦の思いは強く残っている。この節目の年に、これからの50年も日本と中国が戦火をまじえることがないよう力を尽くさなければならないとつくづく思う。

(衆議院議員)

 

1998年 胡錦涛氏からの寄語「欲窮千里目 更上一層楼」
訳:遠くを見るためには、より高い所に登らなければならない

 

1977年 嘉峪関にて(甘粛省)

 

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