新時代を担う日中友好の架け橋に

日本初印象

 

斉遠志

 

 2年前、私は飛行機に乗り、中国の青島から東京に着きました。当時の私にとっては、すべてが新しく未知のものでした。成田国際空港にゆっくりと着陸したときの不安を今でもはっきりと覚えています。

 

 しかし、空港の出口で指導教授の松崎浩之先生に会った時、私の不安はすぐに消えてしまいました。現実生活で松崎教授に会ったのは、あのときが初めてだったのです。松崎教授は私の名前が書かれた看板を持って、出口をじっと見つめていました。私を見つけてすぐに、彼お決まりの笑顔を見せてくれました。この先、ほぼ毎日見ることができたこの笑顔で、本当に安心し、心が暖かくなりました。

 

 成田空港から後楽寮までは車で約1時間で、おしゃべりをしていたらすぐに到着しました。入寮書類等の資料を受け取り、部屋の荷物を片付けた後、後楽寮生でもある同じ研究室の先輩がドアをノックして、一緒に夕食をとろうと誘ってくれました。何人かの寮生が車座になって一緒に座り、火鍋(中国式の鍋)をごちそうしてくれました。おしゃべりして笑いあったりしながら、熱々の牛肉を食べて胃を温め、外国に来て不安な心を慰めてくれました。

 

 それから2年が経ち、授業を受けたり、研究調査を行ったり、サンプルを採りに行ったり、交流活動に参加したり、寮生委員にもなったりしました…。たくさんの友達と出会い、たくさんの活動に参加し、たくさんの仕事を終えることができました。

 

 今になっても初めて東京に来たときに感じた暖かさが、私の人生の中で何度もよみがえってくるのです。

 

(東京大学大学院工学系研究科原子力国際専攻)