新時代を担う日中友好の架け橋に

日中国交正常化50周年記念コラム 第16回(徐桐)

日本と中国の国交が正常化されてから50周年となる本年、日中友好会館ではホームページとメールマガジンで「日中国交正常化50周年記念コラム」を連載いたします。

日中交流に長く携わった方や、日中友好会館の各事業に参加された幅広い世代の方に、日本と中国に関わりのある事柄、随筆、これまでの日中交流のエピソードや、これからの日本と中国に向けての期待・希望などメッセージを執筆いただき、一年にわたって連載します。また、日中民間交流の拠点として貢献する日中友好会館の取り組みなども合わせてご紹介します。

日本と中国のこれまでの歩みを振り返りながら、新しい友好関係の構築に向けたプラットフォーム作りの一助となれば幸いです。

 

日本の友人たちからのご恩を胸に

後楽会(中国)友好聯誼会本部秘書長 徐桐

 

 今年は中日国交正常化50周年、日本に留学した一人の中国青年として、いくつかの忘れ難い思い出を文字に起こしたいと思います。

私は2009年10月に東京大学工学部博士課程で都市工学を学ぶために来日し、2012年9月に卒業、その後6か月間は客員研究員として学び、2013年3月に就職のため帰国しました。

日本留学中、忙しくゼミや研究室に通う時間を除き、最も深い思い出は、日本の友人たちとの交流です。私の日本での指導教授である東京大学元副学長の西村幸夫教授との研究討論のほか、日中友好会館の江田五月会長、村上立躬理事長、武田勝年先生、後楽寮事務室(後に留学生事業部と名称変更)の鈴木繁先生、野原栄生先生、田辺奈津子先生等、日本側の皆さんとの付き合いは楽しいものでした。また、長野Homestayでは、日本のお年寄り達から家族以上の歓待を受けました。その他にも桜が満開の上野公園、紅葉の色づいた高尾山ピクニック、雪が真っ白な日光の別荘等々、記憶の中にある日本の風景には、いつも善意の日本の友人たちの姿があるのです。

 

当時、私は縁あって後楽寮寮生委員会委員長と、“全日本中国留学人员友好联谊会”(全日本学友会)の会長を務めさせていただき、中日友好のために積極的に力を尽くしました。

年末年始には、日中友好後楽会、中国留学生友の会、立志会など、中国留学生に関心のある諸団体の皆さんが主催した忘年会・新年会等の交流活動がありました。

また、私が全日本学友会会長だった2012年は、ちょうど“纪念中日邦交正常化四十周年暨中日国民友好交流年”(中日国交正常化40周年記念・中日国民友好交流年)でしたので、その年の5月、東京代々木にある国立オリンピック記念青少年総合センターで“世代友好――中日青少年友好交流文艺晚会”(世代を超えた友好、中日青少年友好交流文芸パーティー)を開催、その総合企画を担当しました。数十箇所の日本国内の高等学校の高校生と中国留学生、合わせて700名以上の日中の青少年たちが集まり、それぞれのパフォーマンスを披露し、互いに鑑賞し合いました。

ところが、この活動を準備するにあたり、私達後楽寮生のパフォーマンスの衣装代、食事代、交通費には大きな支出を伴うものでした。そのとき、当時の日中友好会館の理事長であった武田勝年先生が、私達の困難を知り、直ちに会館からの援助を命じ、合わせて日本企業の友人たちに連絡し、寄附等の支援を募ってくれました。それにより私達のイベント資金問題は解決され、大成功を収めることができました。

日本にいる中国留学生たちが中日友好のイベントをするとき、日本の友人たちの積極的な支えが必要です。今回、中日両国の青年たちは、民間の友好のためのより広くより立派な架け橋を穏やかに建てることができたのです。

 

日本留学時にたくさんのご恩を受け、2013年に帰国して仕事についた後でも、私は積極的に中日両国の民間交流イベントに参加しています。欧米の学友会や日本留学分会、後楽会(中国)友好聯誼会会員として、日本留学から帰った人たちと常に連絡を取り合い、中国人民対外友好協会、日本駐中国大使館等が組織する中日両国の友好交流活動に積極的に参加しています。また、日本の友人たちが中国を訪れる際には、真っ先に出向いて歓待します。

中日友好交流の“民間大使”として、50年前の周恩来総理と田中角栄首相の築いた中日友好の木の苗をすくすくと育ててゆく一員として、これからも貢献し続けていきます。

(北京林業大学園林学院副教授)

 

 

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