新時代を担う日中友好の架け橋に

日中国交正常化50周年記念コラム 第20回(原鋭次郎)

日本と中国の国交が正常化されてから50周年となる本年、日中友好会館ではホームページとメールマガジンで「日中国交正常化50周年記念コラム」を連載いたします。

日中交流に長く携わった方や、日中友好会館の各事業に参加された幅広い世代の方に、日本と中国に関わりのある事柄、随筆、これまでの日中交流のエピソードや、これからの日本と中国に向けての期待・希望などメッセージを執筆いただき、一年にわたって連載します。また、日中民間交流の拠点として貢献する日中友好会館の取り組みなども合わせてご紹介します。

日本と中国のこれまでの歩みを振り返りながら、新しい友好関係の構築に向けたプラットフォーム作りの一助となれば幸いです。

 

砂漠に住む人々への恩返し

一般社団法人地球緑化クラブ 代表理事 原 鋭次郎

 

 早いもので、内モンゴルでの砂漠緑化活動を始めて約30年が経過しました。活動当初の私は、緑化技術はおろかスコップの扱い方もままならない状態でした。中国語も「你好」「谢谢」程度のレベルで、今考えると良くそのような状態で現地スタッフとして毎年8か月も砂漠に滞在したものだなと思います。

右も左もわからず飛び込んだ砂漠での生活で、支えとなってくれたのが現地に住む方々です。立場的には私が雇用側で、現地の方々は雇われる側でしたが、実際は技術も言語も学ばせていただく立場でした(教えていただいた中国語がすべて方言で、後に帰国の際に笑われたのですが…)。

当時はまだパソコンも携帯電話も普及しておらず、娯楽といった娯楽もない砂漠での生活から、毎日抜け出したくて仕方がありませんでした。日本では普通に手に入るものが手に入らない。何気なく飲んでいる水も、5km以上離れたところまで汲みに行ったこともあります。本来なら辛い記憶として残ってもおかしくはないのですが、不思議と今では楽しかった記憶が大半を占めています。それもすべて、現地の方々が常に明るく接してくれたからに他なりません。

砂漠での生活も3年が過ぎると、現地の方々が何を望んでいるのか理解できるようになりました。「植林は望んでいない」「水をかけて森を作るような場所は、私たちの放牧の場でもある」「今の活動は私たちの生活を苦しくするだけだ」牧民宅で白酒を飲むと、そんな本音が聞こえてきました。果たして現地の人たちを置き去りにした緑化活動は、本当に正しいのか?彼らが率先して活動に参加してくれる手法はないのか?夜暗くなり、毎晩やることがない私は、いつもそんなことを寝る前に考えていました。

4年目、これまで考えてきたことを実践しようと決意しました。これまで鉄道や道路ののり面で、砂防技術として活用されてきた「草方格」を緑化に結び付ける取り組みです。砂丘のどこに施工し、現地で利用価値のある在来植物を植えることが最も効率的かつ有効的なのか。現地の方々が活用できない流動砂丘における、生活に結び付いた緑化への挑戦です。試行錯誤のうえ、徐々に成果が見え始めた頃、現地の方々に「这是沙漠绿化!(これぞ砂漠緑化!)」と言ってもらったのを今でもはっきりと覚えています。

あれから20年余り、今も行っている砂漠緑化活動は、彼らへの恩返しでもあるのです。

 

2021年度「日中植林・植樹国際連帯事業」による助成事業 助成事業者(団体代表)

 

 

草方格施工作業の様子
(内蒙古自治区オルドス市ダラト旗)

 

 

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