新時代を担う日中友好の架け橋に

コラム

    日中国交正常化50周年記念コラム 第64回(小川正史)

    日中国交正常化50周年記念コラム 第64回(小川正史)

    2022/12/27

    2022年は日中国交正常化から50年目に当たる節目の年でしたが、あと数日を残すのみで、新たな50年が始まろうとしています。これまでの50年間を振り返ってみれば、日中関係は、経済、文化、人的交流などの幅広い分野で大きな発展を遂げました。

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    日中国交正常化50周年記念コラム 第63回(陳寬)

    日中国交正常化50周年記念コラム 第63回(陳寬)

    2022/12/22

    突然、周恩来総理がメインテーブルを離れ、両手に二輪の花を手にして、後ろ隣りの私共のテーブルにお出でになった。先ず私の左側に座していた杉村春子氏に一輪を、次に私の右側に座していた高峰三枝子氏にもう一輪の花を捧げたのだ。同席の皆さんが同時に歓声をあげた。その時の周総理のチャーミングで明るい笑顔、そして杉村、高峰両氏の驚きと感嘆の場面は今でも私の脳裏に焼き付いている。

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    日中国交正常化50周年記念コラム 第62回(北原義一)

    日中国交正常化50周年記念コラム 第62回(北原義一)

    2022/12/20

    私が三井不動産に入社し42年が過ぎました。日中国交正常化が50周年ですから、まさにほぼそれに近い時間を社会人として過ごしてまいりました。入社当時、三井不動産は、兵馬俑の近くで唐華賓館というホテル事業を行っていたことを記憶しています。会社としてホテル事業にはまだ緒に就いたばかりであるにも関わらず、中国でそれを事業化するということは、当時としては相当チャレンジングな事業であったと思います。裏を返せば、当時の経営層が、いかに中国の将来性に期待感を抱いていたかが容易に推察されます。

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    日中国交正常化50周年記念コラム 第61回(朱建榮)

    日中国交正常化50周年記念コラム 第61回(朱建榮)

    2022/12/15

    日中国交50周年を迎えたが、私の日本語学習歴も50年になった。まだ中学生だった私は、白黒テレビの前で周恩来と田中角栄の両首相が国交正常化の実現で杯を交わす画面を見て、日本のことについて初めて興味と関心が湧いた。翌1973年、上海のラジオ局は全国初の日本語講座を開講した。自分はほぼ毎日11時50分に午前の授業が終わると走って帰り、ラジオをつけて正午からの講座を聴講した。

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    日中国交正常化50周年記念コラム 第60回(成澤廣修)

    日中国交正常化50周年記念コラム 第60回(成澤廣修)

    2022/12/13

    日中国交正常化50周年、誠におめでとうございます。文京区は戦前より現在の日中友好会館の地に留学生寮があっただけでなく、正常化以前から小石川伝通院前の川口アパートメントに廖承志東京駐在事務所が開設されていた正常化前夜の歴史を共有する地です。区民等の国際理解促進のため二胡や古琴等の中国伝統楽器演奏、変面など伝統芸能・文化の紹介、文京区国際交流フェスタへの参加を通じた中国伝統文化の発信等により、留学生と区民の交流を深めてきました。

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    日中国交正常化50周年記念コラム 第59回(凌星光)

    日中国交正常化50周年記念コラム 第59回(凌星光)

    2022/12/08

    日中国交正常化50周年に当たって、科学技術交流面でのエピソードを一つ披露したい。1980年代半ばに深圳で開かれた日中経済知識交流会での出来事である。日中経済知識交流会についてはNHKの「改革を推し進めた日本人」で詳しく紹介されたが、中国の谷牧副総理と大来佐武郎氏の主導の下で改革開放初期に結成された、毎年日本と中国で交互に開かれる官庁エコノミスト知識交流会のことである。

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    日中国交正常化50周年記念コラム 第58回(陳隆進)

    日中国交正常化50周年記念コラム 第58回(陳隆進)

    2022/12/06

    中日国交正常化50周年を記念して、日本全国各地で様々な行事が行われております。ご招待を受け、多種多彩な記念行事に参加してまいりましたが、半世紀の歴史を振り返るに当たり、「初心忘るべからず」(中国語:初衷不可忘)、「水を飲むとき、井戸を掘った人を忘れてはならぬ」(中国語:喝水不忘掘井人)という言葉が頻繁に用いられます。

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    日中国交正常化50周年記念コラム 第57回(小笠原亨)

    日中国交正常化50周年記念コラム 第57回(小笠原亨)

    2022/12/01

    14年前、私は中国政府の招待で、日本青少年訪中代表団の一員として北京、瀋陽、大連を巡る旅の中にありました。毎年4000人もの日中の青少年を、4年間にわたって相互訪問させようというこの大プロジェクトは、2008年を「日中青少年友好交流年」とするという両国政府の合意に基づくものです。交流年のキャッチフレーズは「明天会更好(より良い明日へ)」。

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    日中国交正常化50周年記念コラム 第56回(沼﨑麻矢)

    日中国交正常化50周年記念コラム 第56回(沼﨑麻矢)

    2022/11/29

    日中友好会館の職員はおよそ40名。日中共同運営の理念のもと、中国代表理事のほか、中国政府派遣の職員3名が在籍している。日中友好会館は、日中双方の職員が「日中友好」の名のもとに集結し、協力して様々な事業を通じた取り組みを行う団体だ。その原動力には日中双方の職員同士の友好交流や、そこから生まれる信頼関係がある。

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    日中国交正常化50周年記念コラム 第55回(莫邦富)

    日中国交正常化50周年記念コラム 第55回(莫邦富)

    2022/11/24

    7月1日、静岡県掛川市。JR掛川駅の南口の差し向かいにある掛川グランドホテル3階の会場で、日中国交正常化50周年を祝う特別記念講演が行われた。講師は田中角栄元首相の娘さんで元外務大臣でもある田中真紀子さんだった。

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    日中国交正常化50周年記念コラム 第54回(横山さやか)

    日中国交正常化50周年記念コラム 第54回(横山さやか)

    2022/11/17

    私が数年前台湾に行った際、商店でよく目に入ったのはお菓子や飲料のパッケージの日本語である。日本食など、日本にゆかりのあるものならまだ理解し得るが、明らかに日本とは関係ないものにも日本語が添えられている。パッケージに書いてあってもおかしくない言葉、食品にはふさわしくない言葉、理解できない文字列など、見ていてとても興味深かった。

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    日中国交正常化50周年記念コラム 第53回(水橋 健太郎)

    日中国交正常化50周年記念コラム 第53回(水橋 健太郎)

    2022/11/10

    「三代続けば末代まで続く」という言葉があります。初代が道を切り開き、二代目が道を均し、三代目が道を発展させることを言います。
    日中友好の師と仰ぐ杉本重蔵先生(初代)は国交正常化前から訪中し、日本工業展覧会を行うなど友好と貿易の道を切り開いてくれました。

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    日中国交正常化50周年記念コラム 第52回(小松健次)

    日中国交正常化50周年記念コラム 第52回(小松健次)

    2022/11/04

    私が中国を初めて訪問したのは1983年であった。海南島沖で石油開発が行われ、その日系石油会社の事業に対する資材の供給に携わった頃であった。当時は中国の方々の多くは人民服を着ており、外国人は外貨兌換券という通貨を使用し、ローカルの飛行機は旧ソ連製のプロペラ機であった。

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    日中国交正常化50周年記念コラム 第51回(孫岳)

    日中国交正常化50周年記念コラム 第51回(孫岳)

    2022/10/27

    私は小学4年生の時、初めて日本のアニメ『ちびまる子ちゃん』を見て、ちびまる子ちゃんが大好きになりました。ちびまる子ちゃんは小学3年生で、父母や姉、祖父母と暮らしています。勉強も宿題も嫌いで、泣き虫なのに、かわいらしく、とても小さい女の子だから、“ちびまる子ちゃん”と呼ばれています。

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    日中国交正常化50周年記念コラム 第50回(王衆一)

    日中国交正常化50周年記念コラム 第50回(王衆一)

    2022/10/20

    中日国交正常化50周年を迎え、中日交流に従事してきたジャーナリストとして、胸の中には万感が交差している。特に近年の民意基盤の悪化には胸を痛めている。世論調査によると、日本の対中非好感度は近年90%近くの高位に差し迫り、中国側の対応も年々高くなっており、今年も楽観視できない。原因はいったいどこにあるのだろうか。

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    日中国交正常化50周年記念コラム 第49回(工藤圀房)

    日中国交正常化50周年記念コラム 第49回(工藤圀房)

    2022/10/13

    横浜プリンスホテルは1987年より全面改装のため休業し、1990年5月17日当時横浜市内最大の441室の客室を誇るホテルとして盛大にオープンしました。海抜64m磯子丘の上の立地を生かした曲線を描くユニークな建物で、ゆとりある客室全室から港町横浜の美しい夜景が楽しめました。

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    日中国交正常化50周年記念コラム 第48回(王泰平)

    日中国交正常化50周年記念コラム 第48回(王泰平)

    2022/10/06

    中日国交正常化50周年にあたり、日中友好会館名誉会長だった後藤田正晴先生が、私の在任中に惜しくもお亡くなりになられたことを偲ばずにはいられません。2005 年9月19 日、彼が亡くなったとき、私は出張で北京にいましたが、その悪い知らせを聞いて本当にショックを受けました。

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    日中国交正常化50周年記念コラム 第47回(松下美菜)

    日中国交正常化50周年記念コラム 第47回(松下美菜)

    2022/09/22

    日中国交正常化50周年となる今年は両国にとって非常に重要な節目の年である。1972(昭和47)年9月、田中角栄首相が中国に訪問し、日中国交正常化を果たした。その結果日中経済協力も強められ、1978年には福田赳夫内閣のもとで日中平和友好条約が結ばれたが、それ以降の両国の関係性は安定しているとは言い難い。

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    日中国交正常化50周年記念コラム 第46回(岸本將裕)

    日中国交正常化50周年記念コラム 第46回(岸本將裕)

    2022/09/20

    岸本倶楽部は、1986年以来36年の長きに亘り、日中友好会館後楽寮の中国から日本の大学へ留学生として来られた800名を超える皆さんにささやかながら奨学金を授与して参りました。また、当倶楽部が所有しておりました「日光山荘」を日中友好会館様へ無償譲渡し、日中友好会館様の管理のもとで延べ6,500名の留学生の皆さんに利用していただきました。

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    日中国交正常化50周年記念コラム 第45回(たなかよしこ)

    日中国交正常化50周年記念コラム 第45回(たなかよしこ)

    2022/09/15

    後楽会の定例行事の、月に一度の談話会で留学生の皆さんと話をするなかで、彼らが研究・勉強と多忙でも日本を身近に感じる機会を希望している事を知り、少しでもそのお手伝いが出来たらと、一緒に東京巡りを始めました。美術館や古い町並みを歩いたり日本の食文化にふれたりして、普通の人々の暮らしぶりを見て貰えたら更にお互いの交流が深まるのではないかと思ったからです。

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