新時代を担う日中友好の架け橋に

日中国交正常化50周年記念コラム 第3回(荒井克之)

日本と中国の国交が正常化されてから50周年となる本年、日中友好会館ではホームページとメールマガジンで「日中国交正常化50周年記念コラム」を連載いたします。

日中交流に長く携わった方や、日中友好会館の各事業に参加された幅広い世代の方に、日本と中国に関わりのある事柄、随筆、これまでの日中交流のエピソードや、これからの日本と中国に向けての期待・希望などを執筆いただき、一年にわたって連載します。また、日中民間交流の拠点として貢献する日中友好会館の取り組みなども合わせてご紹介します。

日本と中国のこれまでの歩みを振り返りながら、新しい友好関係の構築に向けたプラットフォーム作りの一助となれば幸いです。

 

国交正常化50年の想い

公益財団法人日中友好会館 前理事長 荒井克之

 1972年9月の日中国交正常化は、日本航空入社三年目の社員であった私個人にとって大きな転機となった。

 

1974年9月29日、私は上海虹橋空港で初便を迎え、1978年まで上海に駐在することになった。

 

1992年には北京に駐在することになったが、10月の天皇皇后両陛下の歴史的なご訪中に際しては日航機が「お召機」として運航されたことで、私も北京―西安―上海の区間を随行させていただいた(お召機には中国外交部の接遇要員として、後に日中友好会館で中国代表理事として共に仕事をすることになる、鄭祥林氏も随行していた)。

お召機にて上海虹橋空港より帰朝される天皇皇后両陛下
(写真左より日本大使館松本盛雄通訳、黄菊上海市長、天皇陛下、一人おいて皇后陛下)

 

両陛下は各地で中国側の周到で温かい歓迎を受けたが、上海では最も熱烈な歓迎を受けられたことは当時の現地の報道からもうかがえる。私は、上海から帰朝される両陛下が、上海虹橋空港を発つ「お召機」のタラップの最上段から、見送りに来た多くの上海市民に向かい長い時間、手を振り続けているお姿を目にしていた。

 

後に知ったことだが、両陛下は空港にいたすべての人、一人一人に向かい気持ちを込めて手を振り続けていたのである(揮手致意)。

 

2021年10月に発表された言論NPOによる日中世論調査は、日本国民の対中意識に改善はなく、マイナス印象は9割を越え、中国国民の対日印象は「良くない印象」を持っている人が増え悪化に転じたと伝えている。

 

国交正常化50周年を迎える2022年からは、日中両国民が互いに相手の国民一人一人に向き合い、「一衣帯水」であっても往来に大きな困難があった時代にも思いを致し、「好き嫌い」のレベルから抜け出して、互いに「賢」と「才」を発揮して両国の交流の質を数段上の高みに引き上げる契機としなければならないだろう。

 

 

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