新時代を担う日中友好の架け橋に

日中国交正常化50周年記念コラム 第5回(洪振瀚)

日本と中国の国交が正常化されてから50周年となる本年、日中友好会館ではホームページとメールマガジンで「日中国交正常化50周年記念コラム」を連載いたします。

日中交流に長く携わった方や、日中友好会館の各事業に参加された幅広い世代の方に、日本と中国に関わりのある事柄、随筆、これまでの日中交流のエピソードや、これからの日本と中国に向けての期待・希望などを執筆いただき、一年にわたって連載します。また、日中民間交流の拠点として貢献する日中友好会館の取り組みなども合わせてご紹介します。

日本と中国のこれまでの歩みを振り返りながら、新しい友好関係の構築に向けたプラットフォーム作りの一助となれば幸いです。

 

中日友好の“希望号”列車

第46期後楽寮寮生委員会 委員長 洪振瀚

 

 今年は中日国交正常化50周年です。1990年代に生まれた私にとって、50年という時間は一段と長く、想像しがたい時間でもあります。記憶をたどれば、日本――この国名を年長者の口からよく耳にしてきました。日本は一つ海を隔てただけの国であり、好敵手であり、良きパートナーであり、指導者でもありました。知らない間柄ではありません。

2000年頃の中国の小学生達の日本に対する印象は、基本的に映像作品を通じてもたらされたものです。私の中で最も深く印象に残っているのは、売店に置かれたテレビ(アニメ放送中)を同級生達と一緒に食い入るように見ていた情景です。

《铁胆火车侠》―日本名“超特急ヒカリアンJAPAN HIKARIAN RAILROAD”というアニメは、最初に私の中に日本のイメージを作り上げました。主役の“希望号”列車は、運行時速270キロメートルに達します(子どもにとっては想像するのが難しいスピードです)。

2015年に遼寧省瀋陽市から丹東市を結ぶ高速鉄道(瀋丹旅客専用線)が開業して、郷里に帰る際に多くの時間を費やす必要がなくなりました。今までは普通列車に乗り、27時間かけてやっと家に着きます。丸々一昼夜の疲労困憊を思い出すと、高速鉄道のありがたみを感じます。興味がわいて調べてみると、来日時に新幹線の乗車・視察を行った鄧小平翁は、その後中国の高速鉄道開発を促進させ、日本企業との技術交流にもつながったそうです。中国の経済発展の途中には、日本の友人達のサポートがあったことを知りました。

現在、インターネットの発達にともない、中日の民間交流も頻繁になりました。中日両国のアニメ、ゲーム等を通じ、中日の若者、特にサブカルチャー愛好者達の自由な発想が次々と新しい文化を生み出しています。私を含めた多くの中国の学生も、日本に対して再び興味・関心を持ち始めました。

また、新型コロナウイルスの発生の情況下で、中日両国の助け合いを目の当たりにしました。やはり中国と日本には50年前の国交正常化から途切れることのない、千にも万にも及ぶ無数の縁があることを知りました。

中日友好の“希望号”列車は、時には減速したり、時には大きな曲がり角に差しかかったり、時には停車したり――。列車の運行のように常に全速前進とはいかないでしょう。しかし中日両国の大衆は平和と発展における初心を忘れてはいけません。中日の協力がアジアの安定と発展を決定付けるものだからです。

この先将来にわたり、私たちの中日友好の“希望号”列車が、運行に差し障りなく、快適に前進してゆくことを望みます。両国の友情がますます深まりますように。

 

(東京大学大学院博士課程工学系研究科原子力国際専攻 2019年来日)

 

 

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