新時代を担う日中友好の架け橋に

日中国交正常化50周年記念コラム 第11回(宇都宮徳一郎)

日本と中国の国交が正常化されてから50周年となる本年、日中友好会館ではホームページとメールマガジンで「日中国交正常化50周年記念コラム」を連載いたします。

日中交流に長く携わった方や、日中友好会館の各事業に参加された幅広い世代の方に、日本と中国に関わりのある事柄、随筆、これまでの日中交流のエピソードや、これからの日本と中国に向けての期待・希望などメッセージを執筆いただき、一年にわたって連載します。また、日中民間交流の拠点として貢献する日中友好会館の取り組みなども合わせてご紹介します。

日本と中国のこれまでの歩みを振り返りながら、新しい友好関係の構築に向けたプラットフォーム作りの一助となれば幸いです。

 

子々孫々の日中友好

公益財団法人日中友好会館 理事 宇都宮徳一郎

 

 日中国交正常化50周年を心からお祝い申し上げます。

私にとって個人的に印象が深いのは、毎年中央林間の自宅で行われていた花見の会です。桜の開花する時期に祖父徳馬が、日中関係の友人、中国大使館の皆様、中国人留学生をご招待し、盛大なホームパーティを開催していました。このお花見会は、日中国交正常化前から30年あまりも続きました。

最後の観桜会は1989年4月に開催されました。そのとき私の祖母が病気で弱った体から声を絞り出すように、次のような挨拶をいたしました。「日清戦争より半世紀、日本は中国でたくさんの悪いことをした。しかし、戦後、中国人は日本人を許した。とりわけ、多くの日本人残留孤児が中国に残り、彼らを成人まで守り育ててくださった。私は中国の人々に感謝します。日本は中国と決して再び戦争をしてはなりませんし、日中友好をずっと何世代先も続けなければなりません」。

 その翌年に祖母はなくなりました。祖母の名前は遼子といい、中国の東北生まれでした。当時大学生の私は今でも祖母の様子をはっきり覚えています。そして、そのことばを自分自身の日中の草の根の友好活動の糧として大切にしております。

 

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