新時代を担う日中友好の架け橋に

日中国交正常化50周年記念コラム 第18回(王忠福)

日本と中国の国交が正常化されてから50周年となる本年、日中友好会館ではホームページとメールマガジンで「日中国交正常化50周年記念コラム」を連載いたします。

日中交流に長く携わった方や、日中友好会館の各事業に参加された幅広い世代の方に、日本と中国に関わりのある事柄、随筆、これまでの日中交流のエピソードや、これからの日本と中国に向けての期待・希望などメッセージを執筆いただき、一年にわたって連載します。また、日中民間交流の拠点として貢献する日中友好会館の取り組みなども合わせてご紹介します。

日本と中国のこれまでの歩みを振り返りながら、新しい友好関係の構築に向けたプラットフォーム作りの一助となれば幸いです。

 

国交正常化50周年に想う

公益財団法人日中友好会館 評議員 王忠福

 

 日本と中国は戦後27年を経て、1972年に国交正常化を果たし、今年で50周年の記念すべき年を迎えました。

当時、日本中がカンカン、ランランのパンダ来日に沸き、空前の中国ブームが訪れ、外食を楽しむ人が増えつつあったなか、横浜中華街はグルメタウンとしての知名度を上げていきました。

私は中華街に生まれ育ち、実家は上海料理店を経営しておりますが、自身の成長と街の発展を重ね合わせると実に感慨深いものがあります。

両国が国交正常化を果たした1972年、私はまだ3歳でしたが、1976年には、街の全業種の半分を料理店が占めるほどになっていたそうです。

こうして、世界のチャイナタウンでも類をみない、来街者の95%が中国人以外という、個性的な中華街が形成されていきます。

つまり、日本の方々が最も身近に中国を感じることができるのが横浜中華街なのです。

美食を求めて年間約2,100万人が訪れるという横浜中華街。横浜を代表する観光地のシンボル的な存在が、「中華街」と書かれた扁額を掲げる牌楼の「善隣門」です。

門の裏側の扁額には「親仁善鄰」の四文字が刻まれています。これは中国・春秋時代の歴史書「春秋左氏伝」の一節「親仁善鄰、國之寶也(仁に親しみ隣に善(よ)くするは、国の宝なり)」に由来するもので、「隣国や隣家と仲良くする」という意味になります。

国交正常化50周年を迎え、両国、両国民がこの先も子々孫々にわたり理解を深め、尊重し合い友好関係を深めていきたいものです。

(横浜華僑総会 名誉会長)

 

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