新時代を担う日中友好の架け橋に

日中国交正常化50周年記念コラム 第27回(秋岡栄子)

日本と中国の国交が正常化されてから50周年となる本年、日中友好会館ではホームページとメールマガジンで「日中国交正常化50周年記念コラム」を連載いたします。

日中交流に長く携わった方や、日中友好会館の各事業に参加された幅広い世代の方に、日本と中国に関わりのある事柄、随筆、これまでの日中交流のエピソードや、これからの日本と中国に向けての期待・希望などメッセージを執筆いただき、一年にわたって連載します。また、日中民間交流の拠点として貢献する日中友好会館の取り組みなども合わせてご紹介します。

日本と中国のこれまでの歩みを振り返りながら、新しい友好関係の構築に向けたプラットフォーム作りの一助となれば幸いです。

 

日中国交正常化50周年を迎えて

公益財団法人日中友好会館 評議員 秋岡栄子

 

 「日中国交正常化50周年」という節目の年を迎えるにあたり、先ずもって日中国交正常化のためにご尽力された日中両国の多岐の分野にわたる方たちのご努力とご苦労に心から敬意を表します。

私は2010年の上海万博で「日本産業館」という日本の民間企業・自治体による共同出展パビリオンの事務局長と館長を務めました。総合プロデューサーは堺屋太一先生です。

万博開催の半年間は上海に常駐し、総勢550名の運営スタッフの総指揮をとりました。日本産業館の184日間の総来館者数は570万。人気パビリオンでした。このパビリオンを支えたスタッフは日本人、中国人、バイリンガル、日本語か中国語のどちらかしか話せない人、アテンダントは武漢の専門学校の学生さん、事務局員は出展した日本企業からの出向者、警備、清掃、ステージ関係者などと、出身も年齢も職種も異なる集団でした。

日本人と中国人は同じところもあれば、違うところも沢山あります。特に仕事の進め方は大きく異なります。計画づくりが得意で、あらゆる可能性を事前に検討しシナリオを3パターンは用意する日本人、大まかなやり方を決めておいてあとは現場の臨機応変な対応力で最適な方法を選ぶ中国人。まとめる苦労はありましたが、「日本流でもなく中国流でもない、我々で新しい文化を創ろう」が合言葉でした。

これからは日本産業館のように日本人と中国人が一緒に取り組むプロジェクトが増えるでしょう。でもそうした新しい時代も、遡ればその原点は日中国交正常化にあることを忘れないでいたいと思います。

 

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