新時代を担う日中友好の架け橋に

日中国交正常化50周年記念コラム 第32回(李光貞)

日本と中国の国交が正常化されてから50周年となる本年、日中友好会館ではホームページとメールマガジンで「日中国交正常化50周年記念コラム」を連載いたします。

日中交流に長く携わった方や、日中友好会館の各事業に参加された幅広い世代の方に、日本と中国に関わりのある事柄、随筆、これまでの日中交流のエピソードや、これからの日本と中国に向けての期待・希望などメッセージを執筆いただき、一年にわたって連載します。また、日中民間交流の拠点として貢献する日中友好会館の取り組みなども合わせてご紹介します。

日本と中国のこれまでの歩みを振り返りながら、新しい友好関係の構築に向けたプラットフォーム作りの一助となれば幸いです。

 

人民間の友情は、国家間の友好の鍵―国之交在于民相親―

後楽会(中国)友好聯誼会山東分会会長 李光貞

 2008年10月、私は東京大学の客員研究員として日中友好会館後楽寮に入居した。後楽寮にいる間、生活、仕事や勉強など会館には多方面にわたってお世話になり、多くのことを学ぶと共に「草の根外交」の意義を理解した。この経験は、その後の私の交流人生に深い影響を与えた。

入居して間もなく、私は第34期寮生委員会委員長を務めることとなった。他の委員たちと一緒にたくさんのイベントを行った。例えば、花見・新入寮生歓迎会・講座など、すべて会館から大いに支えていただいた。そして私たちも会館主催の茶道交流会やホームステイなどの交流行事に参加し、一般の日本人がもつ中国に対する友好意識や、中国人留学生への親切さを肌で感じた。

在寮中の一年間、会館のリーダーは村上立躬理事長・呉従勇中国代表理事らがおり、私から名乗ることはなかったが、今でもその親しげなお顔が目に浮かんでくる。そして、留学生事業部は潘暁景部長と周暁光部長だった。特に潘先生は、仕事の流儀を一から丁寧に教えてくださり、いい勉強になった。一生涯忘れられない。

 

帰国後は担当授業や学術研究に追われて大変な毎日だが、後楽寮で学んだ経験を活かし、引き続き日本語科の教師と学生たちを率いて中日友好交流の仕事を展開している。国家級の交流項目である《济南中日友好之窗》の主任(2014年~)や、中国日本語教育研究会山東分会会長(2013~2019年)などの職を担当。桜の木の植樹活動、茶道交流会、日本語スピーチコンテストなどを行った。また、私が勤める山東師範大学の対日交流にも協力。毎年冬・夏休みには学生教育実践団を連れて日本を訪問したり、日本の大学生訪中団を接待したりしている。最近では熊本地震を見舞うため、義援金を贈ったり、新型コロナウイルス発生の際は、和歌山県新宮市等にマスクを寄贈したり、大小さまざま500回以上の活動を行った。

そして、地域における日本語教育と中日人文交流の促進に貢献したことから、2018年には「日本外務大臣表彰」を受賞し、阿南惟茂元日本国駐中国大使、周暁光後楽会(中国)友好聯誼会会長らが来校し、交流の様子を視察した。2021年9月8日には、垂秀夫日本国駐中国大使一行が来校。その様子を日本の「読売新聞」など10社近くのメディアが同行して報道し、私たちの中日人文交流を高く称賛した。

 

1972年の中日国交正常化から、今年で50周年を迎えた。我が日本語科も1972年に設立、今年は50周年を迎えた。この記念すべき年に、後楽寮で過ごした日々が特別に有意義だったことを思い出す。その後仕事で再び日中友好会館に伺ったときも、会館の皆さんは親切に協力してくださった。その楽しかった日々は深く記憶に残り、永遠に忘れられない。

 

会館の方々と寮の友人たち、ぜひ中国山東省・山東師範大学にお越しください。心より歓迎いたします。「国之交在于民相親」というように、「草の根外交」の道がより良く順調なことを願っています。

(2008年10月~2009年9月在寮 山東師範大学外国語学院教授)

 

垂秀夫大使一行が山東師範大学に来校
2021年9月8日

 

済南中日友好の窓《济南中日友好之窗》
移転の式典にて挨拶する筆者

 

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