新時代を担う日中友好の架け橋に

日中国交正常化50周年記念コラム 第63回(陳寬)

 日本と中国の国交が正常化されてから50周年となる本年、日中友好会館ではホームページとメールマガジンで「日中国交正常化50周年記念コラム」を連載いたします。

 日中交流に長く携わった方や、日中友好会館の各事業に参加された幅広い世代の方に、日本と中国に関わりのある事柄、随筆、これまでの日中交流のエピソードや、これからの日本と中国に向けての期待・希望などメッセージを執筆いただき、一年にわたって連載します。また、日中民間交流の拠点として貢献する日中友好会館の取り組みなども合わせてご紹介します。

 日本と中国のこれまでの歩みを振り返りながら、新しい友好関係の構築に向けたプラットフォーム作りの一助となれば幸いです。

 

永遠の隣国

翻訳家 陳寬

 

 突然、周恩来総理がメインテーブルを離れ、両手に二輪の花を手にして、後ろ隣りの私共のテーブルにお出でになった。先ず私の左側に座していた杉村春子氏に一輪を、次に私の右側に座していた高峰三枝子氏にもう一輪の花を捧げたのだ。同席の皆さんが同時に歓声をあげた。その時の周総理のチャーミングで明るい笑顔、そして杉村、高峰両氏の驚きと感嘆の場面は今でも私の脳裏に焼き付いている。時、1972年9月25日午後6時30分、周恩来総理が日本国内閣総理大臣田中角栄氏一行を歓迎するために人民大会堂宴会場で催した宴席上での出来事である。

 

 当時はキッシンジャー米国務長官が日本の頭越しに訪中した後で、日本政府は中国との国交正常化を急いていた。そして、日本からの訪中団が増えていた時期でもあった。私は中日友好協会の通訳として、日本政府の代表団をはじめ、文化代表団や宗教団体の接待に当たっていた。

 杉村春子、高峰三枝子両氏は「日本中国文化交流協会代表団」のメンバーとして訪中し、周恩来総理の宴席上には宮川寅雄氏(同団団長)や藤堂明保氏(副団長)のほか、著名な作曲家 團伊久磨氏も同席しておられた。高峰三枝子氏とはその後幾度か北京でお会いしており、私が訪日した際に、『天平の甍』を是非見てほしいと誘われたが実現しなかった。幸い藤堂明保氏とは縁あって来日時に氏のご自宅で再会を果たしている。

 

 1984年胡耀邦総書記が3千人の日本青年を招待した時には“おしん”を演じた当時11歳の小林綾子さんも母堂と一緒に参加し、中国の著名な俳優 王心剛氏ほか女優達とも交流時間をもった。その後綾子さんの母堂は欠かさず年賀状を下さっていたので、日本に居住後、ご自宅に招待されてご馳走に預かり、綾子さんの手料理も頂いている。他にも、70年代前後の世界卓球チャンピオン 長谷川信彦、伊藤繁雄、松崎キミ代の三氏、漫画家の横山光輝氏他、多数の方も同行され、一緒に旅をして友好を育む機会を得た。横山氏は製作中の三国志の関羽と「魔法使いサリー」のペン画をサイン帖に描き残して下さった。松崎キミ代氏とは、後日恵比寿駅近くの彼女のスポーツ店で再会を果たすことが出来ている。

 

 日中国交正常化以降、「衆議院外務委員訪中議員団」、「国会議員友好訪中団」、「社会党国会議員友好訪中団」、「日中経済協会代表団」、「作家代表団」等々の通訳が私の主要な仕事となった。中でも1980年春、中国佛教協会へ出向し、趙樸初会長のご指導の下で唐招提寺第81世 森本孝順長老の通訳兼お世話を致し、ご一緒に「揚州・北京唐招提寺鑑真和上像里帰り展」を成し遂げたことは生涯忘れえぬ出来事となった。また、森本長老の鑑真和上像に対する「生きておわすが如く」お仕えする真摯な姿勢に深く心を打たれ、鑑真和上の日中両国に残した足跡を多くの若者に知って頂きたいと思うようになった。

 

 この思いを抱き続けて丸3年、終に2021年6月6日鑑真和上の忌日に日中両国語による絵物語『鑑真和尚』を上梓することが出来た。ひとえに第85世唐招提寺長老 松浦俊海氏と現89世長老 岡本元興氏の助力のお陰であるが、長きに亘って圧し掛かっていた心の重荷を下ろせた喜びは大きい。

 

 本年9月29日は日中国交正常化50周年記念の節目の日である。私は今年の春先、鑑真和上と有縁の揚州市文峰寺の能度方丈から「姉妹関係にある京都市壬生寺は、50周年の祝賀活動をどう行う予定だろうか」との問合せを受けた。私は「ここ数年米中関係が悪化し続けて以来、日中関係は冷え切る一方で、本来ならば盛大に国交正常化50周年を祝うべきであるが、現在この雰囲気は皆無であり、コロナ禍でもあるので、今考えるのは難しいだろう」と伝えていた。だがここ数ヶ月、日中両国の有識者の努力により、日中友好のムードが徐々に高まりつつあるように見える。いずれにしても日本と中国は永遠の隣国である以上、お互いの立場を深く理解し合い、友好関係を維持して行くことがこの先求められていこう。

 

2022年9月30日

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