今どき北京はこう歩く・2025年度版
第4回
第4回
大バケした「国家の誇り」は
ニートだった!
なにがどうすごいのか
中国の大学入試は凄まじいらしい…、ということは、世界中で知られている。
では具体的に、何がどう凄まじいのか、というと、いまいちイメージが湧きづらい。私もそうだった。
そこで、 日本と中国の双方で 「お受験」 を体験した中国の友人が、 日本の 「お受験」 と中国の 「お受験」 との違いを、 わかりやすく解説してくれた。

孔子廟に奉納された合格祈願の絵馬
撮影:青樹明子
先ず日本の場合。
日本に長く住んでいた友人は、長女の中学受験を日本で体験した。長女は見事に、東京でも超一流と言われる中高一貫校に合格することができ、日本の基準では、間違いなく「勝ち組」である。
そして中国。
この友人一家は、その後中国に帰国し、生活の拠点を北京に移すことになった。日本で勝ち組だった長女は、北京の高校に転校し、中国で大学入試を体験することになる。
母親である友人は「中国と日本、お受験の激しさはまったく違う」と感じたと言う。
「日本のお受験もすごかったですよ。進学塾でも、たとえば同時間帯に欠かせない授業が重なったとしますよね。すると、ひとつは本人が受講し、もうひとつはお母さんが代わりに受ける。内容を後で本人に教えるんです。まさに一家総出だったんですね」
それでも日本の場合は、選択の自由があった。
「受験戦争に参加するもしないも、その家の自由。真剣にお受験する人も、うちはしないわ、という人も両方いたんです。
でも中国は違います。選択肢はなくて、みんながみんな、受験戦争に参加するんです」
お金のかけかたも、日本とは格段の差がある。
「たとえば、 英語の点数が足りないなと思ったら、 夏休みや冬休みにイギリスに行かせて、 現地で英語の勉強をさせる。帰ってきたら、 点数はぐんと上がるという感じですよね」
そこで思い出した、以前聞いた話。
北京市の某有名幼稚園では、毎年四百名ほどの幼児が入園する。年齢は上が六歳で、一番下が一歳半だ。学費は信じられないほど高く、北京の平均的家庭の年収の二倍以上である。幼稚園なのに。
この名門幼稚園、 まずそのカリキュラムがすごい。数学、 科学、 芸術、 国語、 音楽、 英語、 ゴルフ、 テニスと、 足りないものを探すのが一苦労だ。それだけじゃない。紀律を守ることを教え、礼儀作法を覚えさせ、成績の好い子供を奨励して、ちゃんと競争心も育てていく。
驚いたことに、ここでは三歳の子供が、円周率の百位まで暗記するのだそうだ。幼稚園なのに。
お受験の集大成はもちろん大学入試である。
史上最大の決戦にあたり、受験生はもちろん、社会全体が受験モードに入る。

街は静かになり、住宅街の公園などで見られる、おじさんやおばさんたちの盆踊り、「秧歌(ヤンガー)」(田植え踊り)も自粛である。
「子供たちの勉強の邪魔をするなんて、私らにはできないよ」
ということのようだ。
入試の前日には、入試会場周辺の交通規制図を掲載し、
「試験会場が近づいたら、クラクションなどを鳴らして受験生の邪魔をしないように」
などと注意を喚起する。
天気予報も受験優先だ。「入試当日の天気」を早々と出し、気温を予想して、服装等のアドバイスをする。
「狭き門」は本当に狭い。
負けられない運命の一戦なのは、 社会が変わったと言っても、 浪人が格段に少ないことからも見て取れる。「一浪」は「ひとなみ」と読むんだ、失敗しても次があるさ、などという日本式思考は、中国では通用しない。「失敗したら次はない」のであり、浪人すると「人生の敗残者」のように思い込んでしまう。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。大変お疲れになったかと思いますが、ここまでが本日の前提です。
我らが誇り、餃子さん!
2025年の北京、5年ぶりの私にとって何もかも新鮮だったが、「餃子さん」の話題もそのひとつである。
「餃子はすごい」(もともとすごいが…?)
「餃子は中国の誇りだ」(すでに誇りだが…?)
「餃子を目指す子供たちも多いよ」(餃子になりたい子供って何だ?)
続いて彼らが口にするのは、「ナタは最高だ!」
ああ、ナタか。
長い間、中国人にとって漫画・アニメといえば日本製である。「鉄腕アトム」から始まり、「ドラえもん」「スラムダンク」「ドラゴンボール」「NARUTO」、宮崎駿作品にいたっては、「神」である。私たちと同じく、中国人も日本製アニメで育ったといっても過言ではない。
そんな中国・アニメ界に革命が起きた。これまでの歴史を塗り替える大ヒット作品が生まれたのである。中国人の中国人による中国人に向けてのアニメ、 その名は「ナタ(哪吒)」。なかでも2025年公開の「ナタ 魔童の大暴れ」は、 中国国内で154.63億元の興行収入を記録し、 全世界の興行収入は21億ドルを超えた。アニメーション映画初の20億ドル超えで、 最高記録を打ち立てている。
餃子監督の“ナタ”、年末から日本の劇場でも観られます !【12月26日全国公開】
「ナタ(哪吒)」とはどんな内容なのだろう。
そもそもナタとは、道教の神様で、中国人なら誰もが知っているキャラクターなのだそうだ。暴れん坊、やんちゃな神様らしく、映画でも期待通りに大暴れしているらしい。
この作品、中国人にすこぶる評判がいい。 若い世代はもちろん、これまで日本アニメの大ファンだった中年以上の中国人たちも、ほとんどが手放しで絶賛している。
「あっという間の2時間だった」(映画「国宝」みたいだ)
「大きなスクリーンで見ると迫力に圧倒される」
「何度でも見たい」
少なくとも、私が会った人のなかで「失望した」という感想は出ていない。
この世界的大ヒット作品を生み出したのはいったい誰なのか。
「餃子さん」である。
ニートからのリベンジ人生
もちろん「餃子さん」とは仮名である。
本名は楊宇さん、1980年生まれで、言うところの「80後(パーリンホウ)」* だ。
注目したいのは、彼の経歴である。(冒頭に申し上げた苛酷な中国受験事情を思い出していただきながらお読みください。)
四川省出身の餃子さんは、 両親ともに医療従事者という家庭に育ち、 「泣く子も黙る」 ほどの恐ろしい受験地獄を無事くぐりぬけ、 難関四川大学傘下の薬学専門コースに入学を果たした。専攻は薬学である。
ここまでは「想定内」の人生である。 しかし彼は、子供の頃から絵画が好きだった。 そのため、卒業後は医学の道に進まず、広告制作会社に就職した。これが「想定外」第一。
この頃すでに、 若者の就職難という風潮が出始めていたので、 学生たちが憧れる広告業界に就職できたというのは、 大成功だとも言えるだろう。
これまで競争の勝ち組だった餃子さん、思わぬ行動に出る。 せっかく就職できた広告制作会社を、入社後一年で辞めてしまった。 憧れだったアニメ制作の夢を諦められなかったためだと言う。「想定外」第二。
それから六年、失業期間は続いた。放射線科医師だった父親は、餃子さんが就職して間もなく亡くなっていたし、病院勤務の母親もすでに退職している。餃子家の収入は、母親の年金、約千元(約22,000円)だけだった。
餃子さんは親の年金に頼る、ニートと化したのである。
とんでもない物価高騰が続く中国で、 千元で暮らすのは容易ではない。 食費は一日10元(約220円)足らず、 お金がかかるようなことは一切できなかったようで、 「リビング、寝室、トイレの三か所を往復するだけ」。「まるで宇宙ステーションのような生活だった」という。
しかし単なるニートで終わらなかったところが餃子さんのすごさである。短編ながらもアニメを作り続け、ついに「ナタ」シリーズで大爆発へと至った。まさにドリームである。

「ナタ」はキャラクターグッズも爆売れ大ヒット!
しかもニート生活の間に結婚もした。
一人っ子政策の後遺症で、中国社会では結婚できない男たちが増えている。「余剰男性3千人」という流行語もあるなか、女性たちは条件優先の結婚を選び取ることが可能である。いや、それが普通である。結婚の条件としてはいかがなものかと思われるなか、餃子さんとの結婚を決めた奥様もすごい。
極端な学歴社会、 解消されない就職難、 そして結婚は究極の条件結婚が当たり前という、現代中国。そんななか、食費一日10元のニート・餃子さんは、自らのドリームを実現させ、まさに「国の誇り」に昇りつめたのである。「想定外」第三。

Kくんのお母さまはよく手作り餃子を作ってくださった
提供:青樹明子
日本の何倍も縛りのきつい中国社会で人生のリベンジを決めた餃子さん。そんな餃子さんに思いを馳せながら、私は今日も餃子をいただく。 私の推しは「トマト餃子」で、本物の餃子との思い出はまた別の機会に。
(続く)
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*「80後(パーリンホウ)」は中国の世代間ギャップを示す語。1980年代に生まれた世代を指し、一人っ子政策後に生まれ、一般的に「わがままで世間知らず」と評される世代。

青樹 明子
愛知県生まれ。ノンフィクション作家。
早稲田大学第一文学部卒、同大学院アジア太平洋研究科修了。
1995年より2年間北京師範大学、北京語言文化大学へ留学し、98年より北京や広州のラジオ局にて、日本語番組の制作プロデューサーやMCを務める。2014年に帰国。著書に『中国人の頭の中』『中国人が上司になる日』『日中ビジネス摩擦』『「小皇帝」世代の中国』『家計簿からみる中国 今ほんとうの姿』等。