新時代を担う日中友好の架け橋に

日中青少年交流事業 参加者のその後のストーリー(第1回)

 2007年から現在まで、日中青少年交流事業の参加者は38,000名を超えました。訪日・訪中等の活動を経た皆さんは、その後どのような未来を歩んでいるのでしょうか?過去の参加者の方に、それぞれのストーリーをうかがいました。

 今回は、2014年の中国大学生訪日団に参加し、その後日本に進学・就職した黄さんのインタビューを紹介します。

黄さん プロフィール

中国・湖北省出身。南開大学文学院に在籍していた2014年(大学3年時)、「JENESYS2.0」中国大学生訪日団第16陣の一員として来日し、日中韓大学生囲碁交流などに参加。

2017年に大阪大学の予科に入学、2018年 同大学院 経済学研究科に進学。修士課程を修了後の2020年4月、日本国内のEコマース関連企業に就職し、エンジニアとして活躍中。

 

大学時代、訪日団への参加をきっかけに日本留学を考えるように

― 2014年の訪日団参加前も日本文化や日本社会に興味を持っていましたか?それとも参加後に興味を持つようになりましたか?また、どんなところに心を惹かれましたか?

 

黄:2006年の夏に、日本で少年少女向けの囲碁の世界大会(第12回「四都市対抗少年少女囲碁団体戦」)に参加したことがありました。そのとき全日程でとても手厚く面倒を見てもらい、日本への印象はとても良かったです。2年前横須賀に旅行して、当時試合をしたホテルを久しぶりに訪ねたのですが、少年時代の思い出が呼び起こされました。

訪日団参加時、日本棋院にて

 そのことを除けば、訪日団に参加する前は普通の大学生で、日常の学業に忙しくも充実していて、改めて日本という国を理解しようとする機会はありませんでした。

 訪日団参加前の2014年秋、私は大学3年生になりました。その頃には、周りの同級生たちは大学院を受験するか、就職するか、留学するか等を大体決めていました。たぶん今の大学生はもっと早いと思いますが、当時の私たちは大学3年生で進路を考え始めていました。

 はっきり決められずに迷っていた時、訪日団で日本に来る機会があり、この訪日経験を通して、日本への留学もいいかもしれないと思いました。費用も欧米に比べたら安く、実家にかかる経済的な負担もそれほど大きくありません。生活面でも、快適で落ち着いた日常生活が送れ、困ることもありません。囲碁を通して自分の居場所もすぐ見つかり、孤独になることもないでしょう。当時、交流を通じて皆の生活状況や精神状態がとてもよいと思えたので、あまり悩むこともなく、帰国してからすぐに日本に行くことを考えるようになり、日本文化や社会に関する資料を集め始めました。

― 訪日期間中に最も印象に残ったことや、収穫を教えてください。

 

黄:大都市東京と田舎の長野のギャップです。賑やかで娯楽の多い東京と、静かで気持ちの良い長野。街の雰囲気が全く違うだけでなく、気候も少し違って、長野は寒いですが温泉旅館はとても特色があります。四季がはっきりしていることや都市の多様性を感じられたのも、具体的な収穫かと思います。

 

 

― そのとき日本人の友人はできましたか?今も連絡を取っていますか?

 

黄:残念なことに、団の通訳の方以外、日本人の友人はできませんでした。当時日本語で交流できなかったのも大きな原因の一つだと思います。

 実は囲碁の世界は狭いので、Facebookで当時の囲碁交流試合の日本人メンバーを見つけることができたのですが、突然連絡するのはちょっと気が引けます。

 

ゼロから独学で日本語を勉強、努力を重ねた留学準備期間

― 訪日団参加後、日本への見方や印象に変化はありましたか?

 

黄:訪日後に日本文化に関する本を読み始め、その内容と訪日の経験を照らし合わせて、少しずつ当時見聞きしたこと―例えば鉄道、コンビニエンスストア、温泉等のバックグラウンドを理解できるようになりました。

 

― 訪日中に見聞きしたことは学業、就職など、人生設計や生活等に影響を与えましたか?

 

黄:もちろん、訪日のきっかけがなければ、人生のコースは全く別のものになっていたかもしれません(笑)。

 

― 日本への留学はいつ決めましたか?

 

黄:自分で資料を集めたり調べたりしてから、留学は2015年の3月頃に決めて、その頃から独学で日本語を勉強し始めました。

 

― 留学に当たりどんな準備をしたか教えてください。

 

黄:主に言葉に関することですが、2016年6月に大学を卒業するまでに、大学の単位を習得し卒業論文を書き上げる以外に、日本語能力試験N1の合格とTOEICの成績が必要でした。ゼロから独学で日本語を勉強するのは苦労しましたが、なんとかやり抜きました。他には書籍や映像資料等を通じて、日本の鉄道に関する興味を深めました。

 

― 日本では何を専攻・研究していましたか?

 

黄:2017年4月に大阪大学の予科に入り、2018年4月に修士課程(大阪大学大学院 経済学研究科 経済学専攻 経済史経営史コース)に進みました。主に日本企業の経営史、関西の鉄道史、百貨店の経営史を研究し、史料を基に、経済学の観点から企業または業種に関する前例の分析をしていました。

 

大変なこともありながら、仲間に恵まれ楽しかった留学生活

― 留学中に一番大変だったことは何ですか?また、それをどうやって乗り越えましたか?

 

黄:言葉の問題です。日本語能力試験N1に合格してから日本に来ましたが、日常の交流はやはりとても大変で、ブラッシュアップする時間が必要でした。たった一人で大阪に来てすぐの頃は、食事を注文するのにメニューを見てもわからず、話をするのも恥ずかしかったので、中国語が併記されたタッチパネルで注文できる牛丼屋に行くしかありませんでした。大阪大学の囲碁部の仲間が面倒がらずに教えてくれたので、少しずつ慣れて口語も上手になっていきました。

 

― 一番楽しかったことは何ですか?

2019年10月、大分県別府市を旅行

 

黄:やはり、大阪大学の囲碁部の仲間と一緒に合宿をしたり、試合に参加したりしたことです。3年で何も言わなくても気持ちが通じ合うようになり、多くのことは目を見ればわかるようになりました。卒業して東京に行った先輩もいますが、私が東京に行くたびに一緒にお酒を飲みに行くなど、とても仲良くしています。

 それから、留学中に日本各地を歩き回り、47都道府県中、40の都道府県に行きました。あとは沖縄・宮崎・島根・高知・青森・福島・秋田を残すばかりです。

 グルメや風景を楽しむのももちろんですが、地方の格差や商店街の衰退、空き家の増加や百貨店の倒産ラッシュ等、いろいろな問題を実際に現地で見ることで、だんだん自分なりの見解も持てるようになってきました。

 

仕事、プライベートで新たに見つけた将来の目標と計画

―現在はどのようなお仕事をされていますか?

 

黄:Eコマース関連企業のIT部門で、基幹システムの運用・保守と開発業務を担当しています。

 

― 現在計画していることや将来の目標はありますか?

 

黄:計画は、まず仕事のスキルアップをすることです。私は会社のITシステムのコアとなる部分を担当しているのですが、バグが発生したらシステム全体の入出荷フローにも影響が出るので、細心の注意を払わなければなりません。

 他には、昨年から主催者の一員として「大学囲碁リーグ大会」を始動させています。本大会は2019年より始まり、今年は第2回となります。日本の各大学の囲碁交流の促進を趣旨としていますが、大学生とOBがチームを組んで参加することもできます。今年は上海と深圳の2つの大学も招待し、国際交流も進めています。自身が囲碁交流事業に尽力するとともに、交流が長く続いていくことを願っています。

 目標は、自身のIT領域における知識を発揮し、微力ながら将来は日本企業のデジタルトランスフォーメーションの力になりたいと考えています。

 

― 国際交流に参加したことのない日中青少年に向けてメッセージをお願いします。

 

黄:参加前に何か日本に関して知っていることがあるとしたら、それについてある程度仮説を持っておくと、参加時に検証することができて、さらに効果が高まり収穫が増えると思います。

 自分の小さな世界にとらわれず、このような国際交流の機会を通して自分の見識を深めることは、貴重な財産になるでしょう。