新時代を担う日中友好の架け橋に

日中青少年交流事業 参加者のその後のストーリー(第2回)

 日中青少年交流事業の過去の参加者の方に、それぞれの「その後」のストーリーをうかがう当企画。

 今回は、2013年の中国大学生代表団に参加し、その5年後日本の大学院に進学した劉琦(りゅう き)さんのインタビューを紹介します。

劉 琦 さん プロフィール

中国・山東省出身。日本のアニメがきっかけで日本に興味をもち、北京師範大学外文学院日本語学科に進学。大学3年生のとき、キズナ強化プロジェクト 平成24年度中国大学生代表団に参加。北京師範大学大学院 国際・比較教育研究院で修士号を取得後、2018年、早稲田大学大学院教育研究科博士課程に進学。日中友好会館 後楽寮に滞在し、寮生委員会の委員も務めた。

 

代表団に参加、初めて肌で感じる日本 ― 被災地訪問、日本大学生との交流

― 大学に入る前に日本に来たことはなかったのですよね?

 

劉:そうです。2013年の(中国大学生)代表団の一員として、初めて日本に来ました。

 

― 代表団に参加して印象に残ったことは何ですか?

 

代表団参加当時の劉さん

劉:あの時はいろいろな所へ行って、興味深い体験をしました。国際大都市としての東京や、歴史感たっぷりの京都や、自然に恵まれている松島などに行って、日本の文化と雰囲気を肌で感じることができました。なかでも一番印象に残っているのは、宮城県の被災地でのことです。当時、被災地の草がないままの土地を見ると、災害が発生した時の悲惨な状況や人々が絶望した様子を想像することができました。またその時は、災害で生き残った方に当時の状況を詳しく話していただきました。すごく悲しかったですが、その方の勇気にとても敬服しました。この体験を通して、被災地の方々に心からのお見舞いを申し上げたいと思い、また被災地が1日も早く復興するようにお祈りしました。人生の中ではいろいろ予想できないことが起こるものなので、毎日自分の人生を大切にしながら暮らしていきたいと思いました。そして、自然災害の前では、人々がお互いに手伝ったり勇気を与え合ったりすることがとても重要なのではないかと感じました。

 

― 日本に来て、日本の大学に通う学生と交流してみていかがでしたか?

 

劉:面白かったです。特に早稲田大学の日本人学生との交流では、皆さん自分の好きなことや両国に対する印象などについて話してくれて、本当に面白かったです。日本の若者の考え方も理解できて勉強になりましたし、充実した時間でした。

 

― 代表団で初めて来日してみて、日本に対する印象や気持ちに変化はありましたか?

 

劉:変化というより、自分の印象の中の日本を現実で検証できたという感じです。日本語学科の出身なので、日本人の先生から日本についていろいろと勉強して、日本人の友達もいて、日本に対するイメージは既に形成されていました。でもテキストの中と違って、現実で生き生きとした日本の人々と文化を肌で感じられたような気がします。

 

― 代表団に参加したことで、進路や考え方に何か影響はありましたか?

 

劉:日本に来た後、「必ず日本に留学しよう」と思うようになりました。代表団のおかげで日本と近距離で触れることができましたし、より近くで触れたい、博士課程に行くなら必ず日本に行きたい、と思いました。日本語を勉強しましたが、日本語は「鍵」ですよね。その鍵を使って日本への扉を開きたいと思いました。

 

初来日から5年、日本へ留学 ― 後楽寮での充実した生活、苦しくも大好きな研究

― 現在は日本語ではなく、教育学を専攻されていますが、教育には元々興味があったのですか?

 

劉:そうです。日本の教育制度や教育の歴史に興味を持っていたので、日本語を勉強したあと、NGOの教育支援について研究しました。元々は日本のNGOの教育支援を研究していましたが、早稲田に来たあと中国に目を向けて、修士論文の続きとして、海外のNGOはどのように中国に対する教育支援を行うのかという研究に変わりました。草の根の視野から何か社会を手伝うことができる研究をしたいと思います。

  早稲田を留学先に選んだのは、現在の指導教官が客員教授として北京師範大学に教えに来ていたときに、授業に参加したことがきっかけです。すばらしい先生だと思い、博士課程ではぜひ先生のところに行きたいと思いました。

 

― 留学生として来日してからは後楽寮に入寮されていますね。

 

劉:はい。元々私の先輩が後楽寮に住んでいて、とても良い所だと聞いたのでメールで申請しました。幸いなことに受け入れていただき、ありがたく思っています。

 

― 寮生委員もされていましたが、立候補されたのですか?委員の活動は大変でしたか?

 

劉:自分でやりたいと思い申し込みました。夏先生(前留学生事業部長)がいらっしゃったとき、1年ほどやらせていただきました。大変というより、とても面白かったです。私は人と付き合うことが大好きですし、自分の経験も充実させたいので、学部生のときもサークルなどにたくさん参加していました。活動の組織者として皆さんのために動くのが大好きなので、疲れることもありましたが、やはり楽しかったです。

 

― 後楽寮の活動を通じて、大学院以外でもいろいろな方と交流していますね。

 

劉:はい。去年はホームステイで初めて長野県に行き、いろいろとお世話になりました。すごく優しい方々が私と友達を招待してくださって、おいしいものを食べたり面白いところや温泉に行ったりして、すごく楽しかったです。長野県から戻った後、現地でお世話になった方が何回も私に自分で栽培したりんごを送ってくださいました。他にも大きい桃を送ってくださった方もいて、とても感動しました。私も恩返しとして、神楽坂でお菓子を買って長野県の方々に送りました。それから、後楽会の会員の方にもいろいろお世話になっています。私と友達を上野公園などに連れて行ったり、桜餅を食べたことがなかった私のために一緒に買いに行ったりしてくださいました。優しくしてくださる方々に感謝の気持ちを申し上げたいと思います。

 

― 寮生活や勉強を通じて感じていることはありますか。

 

早稲田大学での学会発表

劉:寮生活はとても充実しています。先ほどお話ししたホームステイや国会の見学、藤沢市の見学活動等、いろいろな体験をして、日本の友達もできましたし、日本の文化をより近くに感じられるようになりました。

 それに対して、学業はとても苦しいです(笑)。難しいです。博士課程、特に文科系の博士課程はとても苦しいのではないかと思います。初めて早稲田に来たとき、先生から卒業までに6年くらいかかると聞いて、本当にびっくりし、信じられないような感じがしました。だから自分はできるだけ早く卒業できるように、いろいろな学会に参加したり毎日毎日論文を書いたり、いろいろなことをやっていますので、とてもつらいです(笑)。でも、苦しいは苦しいですけど、楽しいです。自分は研究することが大好きなので、つらいですけど、やり遂げたいと思います。頑張ります!

 

― 博士課程を卒業した後はどのような進路を考えていますか?

 

劉:卒業後は中国に戻って、日本の教育に関する研究をする大学の教師になりたいと思っています。

 

― 最後に、日本と中国の青少年にメッセージをお願いします。

 

劉:よく知られているように、中日両国は一衣帯水で、切っても切れない関係です。中日友好は何代もの人々の力で叶えなければならないと思います。青少年は両国の未来にとって重要な力で、中日友好の未来に密接に関わる人々ですので、必ずお互いの文化や風習などを理解したうえで、中日友好の使者となっていただければと思います。青春は人生の宝物なので、青少年のうちにできるだけいろいろな本を読んだり、いろいろな所に旅をしたりして、充実した人生を過ごしてほしいです。また、そのうえで自分の耳や目を通じて世界の万物を感じて、善意や恩返しの心を持ちながら生きていってほしいと思います。