新時代を担う日中友好の架け橋に

日中青少年交流事業 参加者のその後のストーリー(第3回)

 日中青少年交流事業の過去の参加者の方に、それぞれの「その後」のストーリーをうかがう当企画。

 今回は、2008年の中国高校生訪日団に参加し、その後日本に進学・就職した潘菁(はん せい)さんのインタビューを紹介します。

潘 菁 さん プロフィール

中国・陝西省西安市出身。父の仕事の関係で、小学校1~3年生までを日本で過ごす。

高校2年生のとき、2008年度中国高校生訪日団第6陣に参加。

2009年、東北大学工学部に進学。4年間の留学生活を経て、2014年、三井住友海上火災保険(株)に入社。現在、同社アジア生保部主任。

 

ホームステイ、学校訪問、外務省訪問時の通訳の経験 ― 印象に残る訪日団の思い出

― 訪日団参加前も日本で暮らしたり旅行したりしたご経験があったそうですが、団に参加した8泊9日間では、それまでの訪日との違いや、印象に残ったりしたことはありましたか?

 

訪日団参加当時の潘さん

潘:京都の伏見稲荷大社近くの高校生のお宅でのホームステイですね。日本家庭の日常生活を体験できたのがすごくよかったです。中国と違ったのは、私が泊まったお宅には姉妹が二人いたこと。ご近所さんにもすごく仲良しの友達がいて、同年代の女の子にいっぱい囲まれた記憶があります。あと、お母さんがすごく料理上手で、日本のお母さんってこんなに作れるのかぁ、すごいなぁと思いました。日本の家庭に行くのは初めてではなかったんですが、そういうのは普段遊びに行くだけでは体験できないし、温かく受け入れてもらえたのが印象深かったです。当時のホストファミリーとは今でも繋がっています。近年は会っていないんですが、Facebookでお母さんと友達になって、誕生日になると「おめでとう」と言ってきてくれたり、大学時代には留学先の仙台から京都まで行って、お正月を一緒に過ごしたこともあります。

 高校訪問も、私は日本の小学校に行ったことがあるので、(学校のことは)何となくはわかるんですが、久しぶりで。中国と雰囲気が違うじゃないですか。中国の高校2年生の生活というと、毎日試験勉強やテストをしていますが、日本の高校では(授業や部活動体験等を)一緒にやった記憶があって、楽しかったなと。一緒にいた子達も多分(日本・中国の高校生との交流が)初めてだったと思うのですが、お互い新鮮で楽しかったね、というような記憶です。

 

― 訪日団に参加したことで、日本に対する印象や、ご自身の行動、考え方に変化はありましたか?

 

訪日団参加時の写真と通訳原稿

潘:その後も色々な国を旅するとき、その国の人と接するとか、例えばホテルではなくて民宿等に泊まって体験してみようとか、そういうのが自分のスタイルになってきている気がします。

 あとは、外務省訪問時の団員代表の挨拶を私が通訳したんですが、事前に言われていなくて、確か団が来日してから決まったんですよ。日本と中国の繋がりというか、架け橋になって友好を築きたいとか貢献したい、ということはずっとなんとなく思っていたのですが、意外とやってみるとできるかもしれない、というのはそのときに芽生えたかもしれません。

 

― 訪日団参加の翌年、高校を卒業して、日本に留学されましたね。

 

潘:大学進学の話になったときに、当時はまだ今ほど海外に行きたいという人は多くなかったのですが、私はTOEFLとか、アメリカの大学を受けるための勉強を一応していて。ただやっぱり(アメリカに行くには)それなりの難易度があって、且つ費用がかかることもあって、親からも、もし大学から海外に行きたいのであれば、まず日本を目指したらいいんじゃないか、という勧めもありました。日本語なら日常会話もできたので、問題ないんじゃないかと。中国でも(現)北京第二外国語大学の日本語の同時通訳学科を受けたのですが、日本語だけだと物足りないというか、語学だけでなく、何か違うことを身につけたほうがいいんじゃないかと思って。当時日本ではまだ少なかった9月入学できる大学を探していて、東北大学で勉強していた父の勧めもあり、東北大学工学部を受験して、無事合格したのでそこから4年間勉強して…という感じでした。

 

国際交流活動や専攻の研究に励んだ東北大学留学時代

― 大学時代は留学生交流委員も務めていたそうで。

 

潘:はい。2年間くらい、仙台国際交流協会(現在の (公財)仙台観光国際協会)で、日本と海外を繋げるような活動をしていました。それは中国とは限らないんですが、海外からの留学生等が多いので、そういう人たちのお手伝いとか、あとは国際交流イベント等をやっていました。

 

― 勉強や大学のことなどの思い出は何かありますか?

 

潘:大学は、とにかく勉強が大変でした。大学3年の後半から研究室に配属されて、なかなか厳しい教授のもとで、先輩方と一緒に色々教えてもらったんですが…。没頭する時期もありましたね、何かやらなきゃいけないという気持ちで。後半は、とりあえず耐えるような気持ちが強かったかもしれないです。その頃から、本当にこれでいいのかと、色々考え始めましたね。自分は何がやりたいのか、向き不向きとか、こういう風に人と接したいとか。

 本当はそのまま大学院に行く予定だったんですが、せっかく日本で勉強したし、日本の企業で働いてみたいな、と思って。専攻した学問だけで終わらせていくのはちょっともったいないし、ビジネスの社会を経験してから次の判断をしようと思いました。東北大学だと9割以上の学生はそのまま大学院に進むんですが、就活してみて今の会社に内定をもらったので、ちょっと違う世界に飛び込んでみようと。専攻と今の会社の仕事内容は全然関係ないんですが、なんかまあ、出会ったら受け入れるという感じで今日まで来ました(笑)。今となっては、この当時の選択は間違ってなかったな、と思います。

 

ニューヨークで過ごした半年、日本での就職・社会人生活、そしてこれから

 潘:卒業から入社までの半年は、単身でニューヨークにインターンシップに行きました。自分で探して、費用も払って。不安もあったんですが、いざ行ってみると、楽しいというか、エキサイティングな日々でした。インターン先は個人事業主で、特に金融の知識が足りない女性向けに、わかりやすく為替の勉強ができる教材とか動画とか色々なコンテンツを作っていて、私はそれをサポートしたり、少し日本語訳をしてみたり、インタビューを受けるときのアシスタントなんかをしていました。(就職先の業務内容とは)若干違いますが、金融の知識を学ぶこともできたし、入社して最初の投資部の仕事は、欧米を対象にしていたので、英語での読み書きとか、海外からの来客時の英語での面談とか、ニューヨークでの経験は活かせたかなと思います。

 

― チャレンジ精神旺盛ですね!現在は入社されて7年目ですが、お仕事はいかがですか?

 

潘:就活当時、(会社が)48か国くらいで海外展開をしていて、海外でのチャンスもいっぱいある、というふうにとらえていたし、そういう宣伝もされていたのですが…。実際入ってみて、確かにずっと海外関係の仕事はしているのですが、行くチャンスはまだそんなになくて、そこはなんか物足りないです。日本で海外ビジネスをやるのと、海外に行って現地の日本企業の人とやるのとは違うし、もちろん本場の海外の人たちとお仕事をしてみたい思いもどこかにあったりします。とりあえず今はここで経験を積み重ねるしかないかな、と思います。日本の仕事のスタイルはもうだいぶ分かりました。

 来年あたり、また次の役職を求められるんじゃないかと思いますが、キャリアとかでもっと上を目指したいというよりは、うまくバランスをとってやっていこうという感じです。ただ、何かやることがあって、チャンスがあればやろうかな、という気持ちもあります。ちょっとそこも迷いというか焦りもありますが…。訪日団に参加してからの12年、色々ありました(笑)。

― 最後に、日本と中国の青少年に向けてメッセージをお願いします。

 

潘:今の高校生とか大学生くらいの人にとっては、もう海外はそんなに遠い存在ではなくて、たぶん家族と海外旅行したこととかもあると思うので、こういう(青少年交流)事業に参加して、違う自分の選択肢を見つけたり、違う扉を開いたり、色々経験してみるといいと思うんですよね。日本に来て、実際に日本の同世代の人たちとコミュニケーションして、他の人たちが何を考えているのかとか、そういうのを知ることは自分の参考値にもなるし、こういう生き方もあるんだともっと知ることができると思うので。特に若い人たちにとって、まだ人生の方向性が固まらないうちに、色々経験値というか参考値を増やしていくというのはすごくいいことだと思うので、そういう機会や、参加する意欲のある人がもっと増えればいいなと思いますね。一回りしてやっぱり自分のところがいいと思えば、それもいい結果だと思います。

 日本の若者も、今の中国に行ってみたほうがいいと思います。中国で生活している若者たちも、考えが結構大人というか、やりたいことをいっぱいやるし、どちらかというとポジティブで。そういう人たちと交流するのはいいんじゃないかな、という気がします。